記事サンプル「自由」「感情コントロール」「超利己主義」

 このサブブログは、CSSなどのテスト用に開設したサブブログです。

 

 記事のサンプルとして、一本書いてみます。

 

  

自由

「自由」が好きです。

ありがたい事に、今の世の中では結構な幅での自由が保障されています。

 

だもんで、「自由」というものについて、昔から色々と考えてきました。

 

例えば、AさんとBさんに平等に自由が与えられていたとします。

 

「自分は自由だ、何をしてもいいんだ」と思ったAさん。
Bさんに向かって「お前、今日から肉を食うの禁止な。」
なんて言ったとします。

 

これは、Bさんの自由が侵害されているので、
「AさんとBさんに平等に自由が与えられていた」
という前提が崩れてしまうのでナシですね。

 

このへんは、かの「自由の国」を自称する国が、日本に対して「クジラ食うな」とか言ってきた頃に思った事ですw

 

簡単にいうと「他人の自由を侵害する自由はない」という事ですね。

 

自由を愛するならば「自分の自由」を大切にし、なおかつ「他人の自由」をも尊重する必要がある、と考えます。

 

 

Cさんがブログ記事を書いたとします。

何を書くかは、Cさんの自由です。

Dさんがその記事を読んだとします。

読んでDさんがどう思うかは、Dさんの自由なわけです。

 

Cさんのその記事が、例えばCさん自身の身にふりかかった不幸についてだった場合。

読んだDさんは

  • 可哀そう、なんとか慰めてあげたい(悲)
  • 人の不幸は蜜の味、うひひ(喜)
  • 何こいつ、その程度の事で愚痴りやがって。時間返せ(怒)

のように、何通りかの受け止め方を「選択する自由」があるわけです。
(選ぶのはDさんです)

 

「原因」に対して「結果」があるように、「自由」に対して「責任」が常に伴います。

 

 

感情コントロール

発生した出来事、また自分への影響によって、自然に生じる「感情」

個々の心の中での話ですが、これはある程度の「コントロール」は可能です。(不可能

なケースもあります)

 

「物は考えよう」という言葉だったり、「ポジティブシンキング」という言葉があったりする、それです。

 

 

また、例え話をひとつあげます。

 

ある時、Eさんが「100円の利益」を得ました。

この時に、
「100円もうかった!やったー!」とEさんが思ったなら、Eさんは
「財布に+100円の利益、感情に+100円分の喜び」を得た事になります。

あるいは
「200円利益が出るはずだったのに、100円にしかならなかった…」とEさんが思ったなら、 Eさんは

「財布に+100円の利益、感情に-100円分の悲しみ」を得た事になります。

 

どちらの場合であっても、「財布に+100円の利益」を得た事実に変わりはないのですが、 感情面では+-真逆の影響を受けています。

 

Eさんが「どちらの考え方を選ぶか」をEさん自身で選択できるのであれば、
「喜びたい時には前者を、悲しみたい時には後者を」
選択すれば、EさんはEさんの望む「影響」を受ける事になります^^

 


ここでは「感情のコントロール」を推奨するような事を書いていますが、それもまた「絶対的に正しい、全員がそうすべき」事ではありません。

「自然な感情」のままに受け止める生き方をしている人にはそういう「魅力」があります。

コントロールするかしないか、それもまた個人の「自由」であり、生き方の選択ですね。 


 

「感情のコントロール」は、ちょっと難しい部分もあるかもです。

 

例えば「怒り」を貯めないようにするには「怒りを表に出さず、蓄積する」のではなく「そもそも怒らない事」が重要です。

自分に被害のない事でも、他人の行動に自分が怒りを覚え、その自分が嫌になった時には「相手には相手の考え方・信条・自由がある」というのを念頭に置けば、「俺様が怒るほどの事ではないな」となる事もあるかも知れません。

 

もちろん、どうしたって許せないクソもいますけどねw

 

 

超利己主義

人生は一度きり。

数十年というそこそこ長めの時間をいただいていますが、過ぎてみればあっという間。

自分の人生は自分のためのもの。

無益に終わっても、有益に終わっても他から文句を言われる筋合いはない、全て自分次第。

 

ならば、自分のために生きる事を最優先すべき。

「自分のために生きる」と「他人を犠牲にする」はイコールではありません。

 

例えば、

「自分が人のために何かをしてあげる事が、自分にとって快感」であるなら「自分の快感のために、人のために何かをしてあげ」ればいい。 

「他人の自由を認める事によって、他人の事で怒りを感じずに済み」「怒りを感じたくない」のであれば、「他人の自由を認めて」やればいい。

といった感じですね。

 

近年、「うつ病」「うつ状態」になる人が増えている今、身体の健康同様に、心が健康である事も意識する必要が出てきました。

心にダメージを与えるのはストレス、ストレスを生むのは怒り、怒りの要因となるのは「他人の行動」だったりしますが、「自分の自由」があるのと同様に「他人には他人の自由」があります。

 

選択できる生き方の範囲も幅広く、相容れない考え方も当然のように存在します。

 

「自由」に制約を加える「ルール」もまた多数存在し(職場のルール・家庭のルール・マイルール)、他人がどういうルールに縛られているかなんて全てを把握する事はできません。(なぜこうしないの?とこちらが思う事も、相手にとってはなんらかのルールに縛られての事かも知れません)

 

っていう感じでいくと、

 

「自分自身のため」に「相手の自由を認める・相手を許す」

 

「ありがとう」っていうのは「相手のため」ではなく、「自分が良くしてもらった事を確認するため」

 

みたいな例がでてきますね。